D3Pオトメ部
2024.11.30 Sat 12:00
【特別編】『DesperaDrops/デスペラドロップス』一周年記念 書き下ろしショートストーリー
こんにちは。デスペラドロップスのディレクター、森田です。
すっかりご無沙汰してしまいましたが、本日11月30日は『DesperaDrops/デスペラドロップス』発売1周年!
プレイしてくださった方、応援して下さった方、皆さんありがとうございます。
ということで感謝の気持ちを込めまして、今回は一周年記念の特別編として書下ろしショートストーリーをお届けします。
勿論、吉村りりかさん完全監修となっておりますのでご安心ください!
完全監修と言いますか、共同執筆と言いますか、おんぶに抱っこと言った方が正しいかもしれませんけど。
そんなショートストーリーのタイトルは『日常』です!
今回は、無駄な前口上はこれくらいにして、早速お楽しみいただければと思います。
※このショートストーリーは『真相ルート』クリア後の内容となっています。若干のネタバレが含まれますので、ぜひ『真相ルート』をプレイ後にお楽しみください。
※『真相ルート』への到達方法はこちら(攻略記事)
デスペラドロップス 一周年記念ショートストーリー
作:森田直樹 監修:吉村りりか
【日常】
「無い! 無い! なーいっ!!」
まったりとした微睡にも似た午後の平穏は、リビングに飛び込んできたサリィの絶叫であっさりと崩れ去った。
長かった逃亡生活が終わり、この隠れ家での仲間たちと共同生活が始まって数週間。すでにこういった騒ぎにはすっかり慣れっこになっていた。
「どうしたの、サリィ? 何か探し物?」
キッチンで昼食の洗い物を続けながら声をかけると、サリィが世界の終わりだと言わんばかりの悲壮感を漂わせつつキッチンに飛び込んでくる。
「ちょっと聞いてよ、お姉ちゃん! サリィが食後のお楽しみに取っておいたアップルパイが、いつの間にか無くなってるんだよ! 誰かが勝手に食べちゃったんだよ! 超ありえなくない?」
サリィが、プンスカという表現が相応しい表情で訴えてくる。振り回しているのは、何も載っていない空っぽのお皿だった。
「アップルパイ? それってもしかして私がつくったやつ? それなら昨日の午後のお茶の時に食べきっちゃったと思ったけど……」
「最後のひとつをサリィがキープしといたの! 八等分して余った一個〜! それがいつの間にか無くなってたんだよ! 意味わかんない!」
なるほど。サリィの言葉に納得する。
丸く焼きあがったアップルパイを綺麗に七等分するのは難しい。だから切り分ける時は、八等分にすることになってしまう。
だからひとり一つずつ食べた場合、一つだけ余ってしまう事になるはずだった。いつも全部きれいに無くなっていたので気にしてなかったけど……。
「もしかして最後の一つって、いつもサリィがキープしてたの?」
「当然だよー! サリィは育ちざかりだから、みんなよりもたくさん食べないといけないでしょ?」
そう得意気に答えるサリィだけど、育ち盛りなのであればぜひ好き嫌いをしないで、野菜とかもしっかりと食べてもらいたいところだった。
もともとお菓子やジャンクな食べ物が大好きなサリィに、栄養のバランスも考えたご飯を食べてもらいたい、というのが最近の私の密かな野望でもあったから。
「――ということで、せっかく取っておいたのに、アップルパイが無くなっちゃったんだよ! サリィのお楽しみを奪うなんて酷いでしょ? これって事件だよ! 大事件だよ! 絶対に許せない最低最悪の凶悪犯罪発生だよ! 絶対に犯人を捕まえてやるんだから!」
と、息巻くサリィ本人も、そもそもが指名手配犯だった。
最近はみんなも以前ほど犯罪を行うような機会は減っているけど、それでも油断は出来ない。なんといっても私たちは一時期、ヨーロッパ中を騒がせた指名手配の犯罪者集団なのだから。
不必要な犯罪は行わない。犯させない。
これがこの共同生活で私が掲げたルールの一つだ。
それをみんなが守ってくれているか? と考えるといささか不安ではあるけれど……。
「ええと、もしかして食べたのを忘れてる……とかは?」
「絶対ない!! ランチの前にはちゃんとあるの確認したんだから! でも、いま取りに行ったら無くなってるんだよ! ゆーるーせーなーい!」
どうやらサリィの怒りに油を注いでしまったみたいだった。
これはどうしたものかと考えていると、ソファの方からわざとらしく大きなため息が聞こえてきた。ハミエルさんのものだ。
「ああ、まったくぎゃあぎゃあうるさいな。たかがアップルパイごときでよくもまぁ、そんな大騒ぎが出来るもんだ」
ソファに寝そべっていたハミエルさんが不愉快そうに起き上がるのが見えた。昼寝を邪魔されて、少し不機嫌そうだ。
「ちょっとハミーくん! アップルパイごときって聞き捨てならないんですけどー! お姉ちゃんの作ったアップルパイは国宝級じゃん! というかハミーくんが食べたんじゃないの?」
案の定、サリィはハミエルさんに詰め寄った。
ハミエルさんも分かっていたはずなのに、サリィがそう反応するって分かっていてあんな物言いをするのがハミエルさんらしい。
「おいおい。俺がそんな食い意地が張ってるように見えるか? こっそり残り物を隠していたお前じゃあるまいし」
「ハミーくんは食いしん坊じゃないかもしれないけど、いっつもサリィに嫌がらせするじゃん!」
「そいつは偏見ってやつだ。俺がやる事を、お前がいちいち気に入らないだけだろ?」
「だから、そういうのを嫌がらせって言うんだよー!」
「オーケイ、分かった。俺がお前に嫌がらせをするのが趣味だとしても、アップルパイを勝手に食べるような真似はしない。そもそも、お前がそれを隠していたことも知らなかったんだから無理ってもんだ。――アンタだってそう思うだろ?」
ハミエルさんにチラと見られて、私も戸惑いつつ頷く。確かにハミエルさんの言う通りだ。サリィがアップルパイを一切れこっそり隠していただなんて、全然気づかなかった。
「確かに私もサリィがアップルパイを隠しているなんて気づかなかったけど……そもそも、どこに隠していたの?」
少なくともキッチンやリビングには無かったと思う。
「え? ガレージだけど」
「ええ!? ガレージ? なんでそんな所に!?」
予想外の回答に思わず大きな声が出てしまった。
ビックリして洗い物のコップを落としそうになったところを、隣にいたジブさんがフォローしてくれる。
「だって、キッチンの戸棚とかに入れておいたら、誰かに食べられちゃうじゃん」
「それはそうかもしれないけど……」
だからといって、ガレージに食べ物を隠しておくのはさすがに衛生的に気になってしまう。せめて『食べるな、サリィ』みたいな張り紙をしてキッチンの戸棚にでも入れておいて欲しかった。
「おいおい、勘弁してくれよ。さすがにガレージに落ちてる物を食ったりはしないぜ?」
「落ちてたんじゃなくて置いておいたの! ちゃんとお皿の上にクロッシュを被せておいたしね」
「あ、そうなんだ……なら、いいのかな?」
クロッシュっていうのは、レストランなどで料理のお皿の上にかぶせてある、銀製の蓋みたいなテーブルウェアのことだ。この隠れ家にあるのはガラス製の透明なものだけど、確かにあれを被せてあったのなら衛生面では大丈夫……かもしれない。
「いや、良くないだろ」
「で、ですよね」
ハミエルさんに冷静に突っ込まれ、私は頷いた。うん、やっぱりガレージに食べ物は良くない。
車やバイクが出入りする場所なのだから、排気ガスで汚れたり匂いがついたりしてしまいそうだ。
「てか、そもそも俺の他に怪しい奴はいるだろ? あっちの手癖の悪いガキとか」
ハミエルさんがテレビの前にいるラミー君の方を顎で示す。
「ちょっとそれってボクの事?」
ハミエルさんの言葉にラミー君が反応して振り返る。
「ああ! ちょっとラミー君。ここから合体シーンなのですからよそ見は厳禁ですよ!」
ラミー君の隣でテレビの画面に集中していたカミュさんが慌てた声を上げる。
「いや、その合体シーンってさっきも見たから。何度見ても一緒だよね? そこはもう早送りでいいんじゃね?」
先ほどからカミュさんにアニメのレクチャーを受けていたラミー君が面倒くさそうに答える。
「な、なんてことを言うんですか! この合体シーンはいわゆる『OYAKUSOKU』! 日本文化のワビサビというものですよ。むしろこの合体シーンを見るために前後のドラマがあると言っても過言ではありませんから! 早送りだなんて断じて許されません!」
そう言うとリモコンを操作して画面を一時停止して少し戻させる。すると、キュルキュルと不思議な音がした。
(もしかして、あれってビデオ……?)
そういえば最近、こうして二人でアニメを見ている姿をよく見かける。
カミュさん曰く『布教活動』とのことだが、傍から見ていると仲のいい兄弟みたいで微笑ましかった。
「さあ、ラミー君。早く続きを見ますよ。実はこのエピソードは合体シーンの直後にですね……」
カミュさんが嬉々として解説を始めようとするが、サリィによってあっさりと遮られてしまう。
「今はそんなアニメのことなんてどーでもいいから!」
「そ、そんなアニメ……ニッポンが世界に誇るこの名作になんという罰当たりなことを……」
リモコンを握りしめたカミュさんが呆然と呟く。
「今はサリィのアップルパイが無くなった事件の方が大問題なの!」
「アップルパイが無くなった? なんでそこでボクの名前が出てくるんだよ、ハミエル」
「さあねえ? でもいっつもアップルパイが焼けるの楽しみにしてるじゃないか。世界で一番美味しいとかなんとか大げさに褒めちぎってるし――なんたってこの中で一番、すばしっこい」
疑われるのが面倒だったのか、誘導するようなハミエルさんの言葉にサリィが大きく反応する。
「そっか! ラミーくんが犯人だったんだね! ラミーくんならプロのドロボーだからサリィに見つからないよう盗み食い出来ちゃいそうだし納得だよ!」
「いや、勝手に納得しないでくれる? それにボクは泥棒じゃなくて怪盗だし」
飛びかかってくるサリィをラミー君はソファに座ったままひょいと躱してしまう。勢い余ったサリィはそのまま隣のカミュさんに頭から激突してしまった。
「うわあ!」
その拍子にリモコンの一時停止が解除されてしまう。
『――行くぞ! 今こそ愛と勇気と根性で合体だ! オー!!』
壮大な音楽を響かせながらアニメーションが再生されてしまった。
「おおお! 来ました! 来ましたよー! 皆さんご注目くださ――」
カミュさんが歓声を上げるも……。
「うるさぁーい!」
サリィはカミュさんの手からリモコンを奪うと、テレビの電源をあっさりと切ってしまった。
「ああ……ここからが凄いのに……」
ガックリと項垂れるカミュさんはちょっと可哀想だけれど、この騒ぎでは落ち着いてアニメを試聴するのも難しそうだった。
もう少しサリィが落ち着くまで待った方がいいだろう。
「――で、ハミエルはどうしてボクがアップルパイを盗った犯人にしようとしてるわけ?」
ラミー君が不満げにハミエルさんを睨みつける。
「そもそも物が無くなったらまずは泥棒を疑え、っていう先人の言葉を知らないのか?」
「ふーん。姉ちゃんに聞いたけど、ニッポンじゃ嘘つきは泥棒の始まりって言うらしいよ」
澄まして答えるハミエルさんに、ラミー君が負けずと言い返す。そんな二人の応酬に、サリィがほっぺを膨らませる。
「つまりハミーくんは立派な嘘つきだからドロボーってこと? やっぱりハミーくんが犯人なんじゃん!」
「嘘つきなのは認めるが、俺は盗ってないさ。そもそも証拠はあるのか?」
「ドロボーはみんなそう言うんだよ! サリィの目は誤魔化されないよ」
「無実の奴だってそう言うぜ、なぁ?」
ハミエルさんが同意を求める視線を私に投げてくる。『無実の罪で散々な目に遭ったお前なら分かるだろう?』なんて声が聞こえてきそうな視線だ。
「……確かに、証拠も無いのに他人を疑うのは、ちょっと良くないかも?」
思わず加勢してしまうと、ハミエルさんは満足げに手元のグラスを傾けた。
「だろ? そもそも俺はアップルパイになんて興味無い」
「……それはどうでしょうか?」
大人しく状況を静観していたカミュさんが神妙な表情で口を挟んできた。
「確か昨日、あのアップルパイを食べた時、こいつはワインにも合いそうだと、いたくお気に入りの様子だったと記憶しています」
クイと眼鏡を上げながら、カミュさんは名探偵のように言ってみせる。そういえば、いつもよりもシナモンの量を多くしたせいか、ハミエルさんが珍しくそんな事を言っていたのを思い出した。
「ハミエル君。そのグラスに入っているのはワインなのでは? つまりそのお供にアップルパイが選ばれたはず――」
「じゃ、犯人で決まりじゃん。ハミエルがアップルパイ泥棒ってことで解決っと!」
「ハミーくんがやっぱりドロボーじゃん!」
「おいおい、勘弁してくれよ」
三人に一斉に疑われて、ハミエルさんはやれやれと天井を仰いだ。
「っていうか、さっきからダンマリのアッシュこそ怪しいじゃないか? そもそもガレージってのはアッシュのテリトリーだろ? バイクの整備でもしている合間に食ったんじゃないのか?」
ついにはリビングの隅で椅子に座って本を読んでいたアッシュさんにまで疑惑の目が飛び火した。
「……チッ」
アッシュさんが憎々し気に舌打ちすると、椅子ごと向こうを向いてしまう。
「あ! それありえる! アッシュくんが犯人だったんだー! ひーどーいー!」
「……面倒くせぇ」
「ほら、そのハンコ―的な態度! 明らかに怪しいじゃん! やっぱりアッシュくんが真犯人なんだよ!」
アッシュさんがこういう態度をとるのはいつもの事だと思うけど、サリィの追及は止まらない。
「きっとアッシュくんの事だから、『バイクを弄っていると無性にアップルパイが食いたくなるぜ……』とか言いながら食べたんでしょ?」
サリィがあまり似ていないアッシュさんの物まねを披露する。
……というか、今の物まねだったのかな?
「……オレは甘いものはそんなに好きじゃねぇし、他のヤツの分までわざわざ盗んで食わねぇよ」
面倒くさそうに反論するアッシュさん。
確かにアッシュさんが、わざわざ他人のオヤツをこっそり食べてしまうという姿はちょっと想像しづらかった。
「うーん。確かにアッシュの兄貴は甘いものはそんなに好きじゃないかもしれないけどさ、でも姉ちゃんの作ったモノは好きだろ?」
「…………」
「好きじゃないなら、ボクが兄貴の分次から貰っちゃうけど」
「……いや、それは、まぁ……好き……かもしれねぇけど……」
「あのアップルパイはどうだった?」
「……美味かったに決まってんだろ」
「はい、自白した―。アッシュくんが犯人で決定!」
「だから、オレじゃねぇって」
なんだかどんどん収拾がつかなくなってきた気がする。
「あの、サリィ。アップルパイならまた作ってあげるから……」
「お姉ちゃんはちょっと黙ってて! 今はそういう話じゃないんだよー。これはサリィの正義の問題なんだからね!」
サリィの口から『正義』という言葉が出てくるの自体は嬉しいけど、こういう状況で言われてもあんまり有り難くはない。
「あーもう! みんな怪しい! っていうかカミュくんまで怪しく見えてきた!」
「ちょ、ちょっと。何故、僕まで……? 大人しくアニメを見ていただけですよ?」
「きっとそのアニメでアップルパイを食べるシーンを見たんだよ! カミュくんってばすぐアニメのキャラになりきっちゃうじゃん! そういうことしそうじゃん!」
「ひ、ひどい言いがかりですね……!? そういうのオタクへの偏見っていうんですよ!」
さすがに今の言いがかりはカミュさんがかわいそうな気がして、思わず私も頷いてしまう。
「ちょっと、パパさん。お巡りさんだったんでしょ? 黙って見てないで早く犯人を捕まえてよー!」
最終的にはキッチンで食器を拭いていたジブさんまで引っ張りだされてしまった。
これではお片付けが一向に進まない。
「いったい私にどうしろというんだ?」
これまでの経緯を黙って聞いていたジブさんも困惑気味だった。その気持ちはとても分かる。
「おっと、いよいよ本職の登場か? だが、警官が犯人って事件も今どきは珍しくないぜ?」
「詐欺師の起こす事件よりは少ないだろう」
ジブさんはハミエルさんの言葉を軽くいなしながらサリィに向き直った。
「それでは、状況を把握したいのだが……そのアップルパイを最後に見たのはいつなんだ?」
「ランチの前だよー。食後のお楽しみだったから、ちゃんとガレージにあるの確認したからねー」
「なるほど。それで無くなっているのに気づいたのは?」
「ランチの後だよ。デザートに食べようと思ってガレージに取りに行ったら無くなってたんだよ。あの時のサリィの絶望が分かる? 世界が終わったかと思ったんだから!」
「そいつはまた、ずいぶんと安い世界だな」
ハミエルさんがやれやれと首を振る。それを一切無視して、ジブさんはリビングにいる全員の顔を見回した。
「――つまり、犯行時刻はランチの間……という事か?」
いつの間にか『犯行』になっていた。
「であれば何者かがランチ中に抜け出してアップルパイを盗った……あるいは食べたということになる。その時のアリバイを調べれば犯人も分かるだろう」
ジブさんの言葉に、みんなは思わずお互いの顔を見比べた。
「いや、ランチ中のアリバイって……みんな普通に席に座ってたんじゃね?」
「言われてみればそうかも」
ラミー君の言う通りだった。
はっきりと確認していたわけじゃないけれど、ランチ中に席を立った人はいなかった気がする。
(あれ? でも、そうすると……)
「ちょっと! それじゃこの中に犯人はいないってこと? なんで? なんで? ハミーくんじゃないの!?」
「だから、俺は最初っから違うって言ってただろ?」
「だったらなんでサリィのアップルパイが無くなってるの?」
「泥棒じゃね? もちろんボク以外のさ」
「こんな所に泥棒に入る奴がいるか? 庭には監視装置があんだろ? 普通の泥棒じゃ家に近寄る事も出来ないんじゃないのか?」
アッシュさんの言う通り、この隠れ家にもともとあった監視カメラ等の防犯設備を利用しているので、第三者がうかつに近寄ることは出来ないことになっているはずだった。
「おお! これは実にミステリアス。もしかして不可能犯罪ではありませんか?」
カミュさんが興奮した声を上げた――その時だった。
ガタン。
リビングの外から扉の閉まるような音が聞こえてきた。
「!」
明らかに私たち七人以外の誰かがこの家にいる気配だった。
リビングに一気に緊張が走る。
「うそ、やだ。本当に……泥棒とか?」
サリィが怯えたように声を潜めて私の隣に駆け寄ってくる。
「あるいは警察か、C.R.O.W.N.の残党という可能性もある」
アッシュさんが素早く椅子から腰を上げると、リビングの扉の方へ駆け寄った。
同時にジブさんも動いている。
アッシュさんとジブさんがリビングの扉の左右に張り付き、息をひそめアイコンタクトで合図を交わす。
おそらく、ジブさんが扉を開け、アッシュさんが侵入者に飛びかかる算段なのだろう。
こんな状況で咄嗟に意思疎通のできる彼らを思わず頼もしく思ってしまう。
緊張しながら見守っていると、リビングの入り口の扉のノブがゆっくりと動き出した。
そして、ドアノブが回り切った瞬間――ジブさんが素早く扉をあけ放つと同時に、アッシュさんが扉の外にいる人物に飛びかかった。
「うわあ! なんだ!? ずいぶんと熱烈な歓迎じゃないか?」
聞き覚えのある、飄々とした声。見慣れた少し疲れていそうな顔。そこにいたのは――
「え? カルロスさん?」
「他に誰がここに来るって言うんだい? この場所を知っているのは君たちと俺だけじゃないか」
アッシュさんに胸倉を掴まれながらも、相変わらずと飄々としたカルロスさんの登場だった。
「でもなぜ、カルロス氏がここに?」
「っていうか、カルロっちがアップルパイドロボーだったんだね!」
「泥棒? いったい何の話だい? 俺は君たちに頼まれた買い出しの荷物を持ってきただけだよ」
そう答えるカルロスさんの足元には、確かにいくつかの紙袋が置かれていた。
「……ということで、いい加減に離してくれないか、アッシュ? ジャケットが皺になってしまうよ」
「いや、待て……この匂いはシナモンの香りじゃねぇか。コイツに間違いねぇ」
まるで狼みたいな嗅覚だった。鼻をすん、と鳴らしたアッシュさんの言葉にサリィが飛び出し、カルロスさんの周囲を念入りに嗅ぎ回る。
「くんくん……え、匂い? えー? サリィ、アッシュくんみたいに分かんないよー……ってジャケットにシナモンついてる! くんくん……これ、お姉ちゃんのアップルパイの匂いだ! パパさん、犯人確保だよ!」
「分かった。窃盗の現行犯だな。観念してもらおうか」
ジブさんは威圧的に言ってみせたけれど、その表情からは先ほどまでの緊張感は消え失せていた。
「アップルパイってのはアレかい? ガレージに置いてあった」
「そうだよ! サリーのアップルパイ! カルロっちが盗んだんでしょ!?」
「盗んだとは人聞き悪いな。今日はランチがまだだったからね。ガレージから入ったら丁度目の前に美味しそうなアップルパイが用意してあるじゃないか。せっかくだから美味しくいただいただけだよ」
「やっぱりカルロっちが犯人じゃん! ひどーい!」
サリィだけは憤慨していたけれど、アップルパイ騒ぎの犯人が判明して、ようやくリビングの空気は緩んでいった。
「というか、カルロスさん。ガレージに置いてあったアップルパイを食べちゃったんですか? そんなにお腹が空いてるならお食事、用意しますけど……」
「お姉ちゃん、甘やかさなくていいから!」
サリィが涙目になりながら頬を膨らませる。けれどカルロスさんは全く意に介さず、荷物を持ってリビングの中に入ってきた。結構な大荷物だ。
「こいつは、アッシュに頼まれてたバイクのエンジンオイルだ。高級品だぜ」
カルロスさんが缶を取り出すと、受け取ったアッシュさんが目を輝かせる。
「おい! こいつは……化学合成油でも最高品質のヤツじゃねぇか! 一度試してみたかったんだ」
すぐにでもガレージに飛んでいきそうな食いつきようだ。よっぽどいい物を持って来てくれたらしい。
「こっちはジブが御所望のライフルのメンテナンスキット――軍の放出品が安く手に入って良かったよ」
カルロスさんが荷物を次々とテーブルの上に並べていく。
時々、スーパーマーケットに食料品や消耗品の買い出しに行く許可は出ているけど、こういった特殊な物はどうしても手に入れにくいので、カルロスさんが調達してきてくれるという約束になっているのだ。
自由に買い物が出来ないのは不便だけど、さすがに通信販売でこの隠れ家に荷物を届けてもらう訳にはいかないから、こればかりは仕方ない。そもそも、銃器の類は入手方法がかなり特殊だ。
「――で、ハミエルはこれだろ?」
煙草のカートンのパッケージをハミエルさんが受け取る。
「ああ。発信機が付いてなければ、だけどな」
「いい子にしてればそんな物は仕込まないさ」
ハミエルさんの皮肉を軽くいなして、今度は分厚い紙袋を取り出した。
「それで、これがカミュの分だ……地味に面倒な注文だったんだが」
面倒な注文と聞いて嫌な予感がする。爆弾の材料とか危険な物なのだろうかと思って全員が身構えたけれど――
「おお、それはもしかして『グレイト学園Z』の最新刊ですか! カルロス氏、ありがとうございます!」
カミュさんの満面の笑みで、全員の緊張がまた弛緩した。紙袋を受け取って、早速カミュさんが中身を取り出す。
「感謝されるのはいいんだが……どうして同じ本が五冊も必要なんだ?」
そう言われて見ると、カミュさんの手には明らかに同じ表紙のコミックが五冊あった。
「それは勿論、保存用と読書用と観賞用と寝室用と携帯用に決まっているじゃありませんか。カルロス氏なら言われなくても分かってくれると思っていましたが……」
「いや、そいつは普通に分からないだろ。同じ本を五冊も買うから店員によほどのマニアじゃないかと思われてしまったよ」
「それは大変に名誉なことではありませんか!」
「……やれやれ、馴れない買い物は疲れるよ」
カルロスさんが肩を竦めると、ジャケットのポケット辺りからチリリンと涼し気な音が響き渡った。
「おっと、ラミーにはこれだ」
カルロスさんがポケットから取り出した物をラミー君に手渡す。
それは、鈴が付いたキーホルダーだった。
「鈴がついてるから君に丁度いいだろ?」
「いや、別にボク、鈴をつけるのが趣味じゃないんだけど……っていうか、なにこれ? なんか変な女の子の人形がついてるんだけど」
「あのコミックを五冊も買ったら、ショップの親父さんがくれたんだ。なんでもすごいお宝らしいぜ。君、お宝好きだろ?」
「いやいや、どうみてもただのオマケじゃね? こんなのなんの価値もないから!」
ラミー君が興味無さそうにキーホルダーを振り回す。
「おおおおお! そ、それは、ニッポンでグレ学の最新刊を買ったら抽選で当たるという幻の『生徒会長ネネ様キーホルダー』ではありませんか! こちらのオークションでは1000ユーロは下らない、とんでもないお宝ですよ! うらやましgるておgkdhr!」
「ほらな?」
「いやいや、カミュにしか価値の分からないお宝じゃん! まぁ、転売できるならもらっておくけどさ」
「転売だなんてとんでもありません! 僕が買い取りますよ。そうですね……5000ユーロまでなら用意しましょう!」
5000ユーロって日本円では80万円以上の大金だ。このまま放っておいたら仲間内でとんでもない取引が始まってしまいそうだった。
それにしても、全員に順番に頼まれていた品々を出してくるカルロスさんは、なんだかサンタクロースみたいで少し和んでしまう。私がその様子を見守っていると、カルロスさんがジャケットのポケットから二通の封筒を取り出した。
「――で、嬢ちゃんにはこれだ」
「手紙……? 私にですか?」
愛らしい天使のイラストがあしらわれた封筒の差出人を見ると、そこに書かれていたのはクリステルの名前だった。
「クリステル……!」
あの事件の後、トゥーンの孤児院に保護されたという彼女の姿を思い浮かべて懐かしさがこみあげてくる。
それからもう一通、シンプルで大人びた封筒の差出人の名前を見てハッとなる。
「……アイーダ!?」
久しぶりに見るけど間違うはずがない――それは懐かしい友人の筆跡だった。
「アイーダは……彼女は今どうしているんですか?」
「彼女はC.R.O.W.N.に繋がる重要な証人だからね。クリステルが保護されている例の孤児院で、スタッフとして住み込みで働きながら、欧州警察の証人保護プログラムでしっかりとガードされているよ」
「そうなんですか……良かった」
あの孤児院なら、きっと大丈夫だ。人の好い院長先生の姿を思い出して安心する。高級品のオイルでも、レアなキーホルダーでもないけれど、この手紙は私にとってはこれ以上ないほど嬉しいプレゼントだった。
「ちょっとちょっと! みんなにはお土産があるのに、サリィには無いの!?」
「そう言うと思ったから、これを買って来てやったよ」
カルロスさんが最後に取り出したのは大きな紙製の箱だった。
箱の形から察するに、中身はホールのケーキらしい。それを見たサリィが表情を輝かせる。
「わお! これってミラノで人気のチーズケーキじゃん! やったー! サリィ、このお店のケーキ食べたかったんだよねー! さっすがカルロっち! 分かってるー」
「そいつはどうも。お嬢様のご機嫌が直ってなによりだよ」
サリィはさっきまでの怒りもどこかに行った風で、早速ケーキの箱の開封に取り掛かっていた。
「それじゃ、せっかくだからお茶にしよっか」
お茶の支度をするためにキッチンへと向かう私の背後では、サリィの元気な声が響き渡っていた。
「いーい。最初に言っておくけど、八等分した余りの一つはサリィのだからね!」
「いや、俺もいるんだから八等分したら余らないんじゃないのかい?」
「えー! カルロっちは、サリィのアップルパイを食べちゃったんだからダメに決まってるでしょー!」
「おいおい、そいつはちょっと酷くないか?」
「最初に酷いことしたのはカルロっちだもーん」
そんな賑やかなやりとりを聞きながら、私は長い逃亡生活の果てに手に入れたこの非日常的な日常を噛みしめていた。
世間一般の常識から見たら、大きく逸脱しているかもしれないけど、今の私にとってはかけがえのない日常だ。だから、この日々がいつまでも続きますように……。
そんな事を考えながら、私はお茶の支度を始めたのだった――。
END
お楽しみいただけましたでしょうか?
このように、彼らの日常はまだまだ続きます。
大きな事件が起こらなくても、彼らの共同生活はこんな感じに毎日が賑やかで、アットホームで、ドタバタとした非日常な日常が繰り広げられていることでしょう。
今回、このような形で彼らのその後の様子を描けてとても楽しかったです。
久しぶりの赤ペン先生として、ガッツリとご協力していただいた吉村さんありがとうございました!
そしてなにより、ここまで読んでくださったあなたに大感謝です。
発売一周年を迎えたデスペラ、これからもよろしくお願いします!
それではまた、お会いしましょう。
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